金銭欲と名誉欲だけで弁護士を目指したロー生の末路

このブログ記事を、将来稼ぎたい、周りからすごいといってもらいたい、という理由で弁護士を目指しているすべての人に捧ぐ。

 

現在ロースクール既習2年の私。当然法曹志望である。

 

なぜ私は法曹をめざしたのか。

何をやりたいかわからなかった私はなんとなくいい大学に行っていい企業に勤めることが人生の正解であるように感じていた。このように思ってキャリアを形成する人は多いであろう。私もその一人であったのである。

しかし大学生になったころ、兄が東京の企業に就職。二人兄弟である私は親の面倒を見るのも幸せの一つかなと思い、地元での就職を決意した。

地方の就職状況は悲惨である。中堅国立大学を出たプライドや給料面を考えると、実質、公務員か弁護士しかないと感じた私。しかし、地元の役所は高卒の友達が何人も働いていて、務めるとなると、生涯収入では彼らに負けることとなる。彼らより勉強を頑張ったのに、というくそみたいなプライドが顔を出し、結局弁護士を目指すことになった。当然弁護士のほうがモテるし、承認欲求も満たされるという思いもあった。

まさに金銭欲と名誉欲だけで弁護士を目指したのである。そればかりか困っている人を助けたいからと、さも立派に見える「言い訳」を準備し、自分に言い聞かせていたほどである。

 

しかし最近気づいたことがある。金銭欲と名誉欲にかられた人生というのは人との比較の上で成り立つ空虚でむなしい人生であるのではないかと。

人間というのは欲深いもので人と比較している限り、常に満たされないのではないかと。

その証拠に地元に帰るために弁護士を志していたのに、ロースクール在学中にいつの間にか初年度の給料が高い場所に就職したい、同級生より稼ぎたいという思いが頭の中を支配していったのである。

常に負けられない世界が広がっている世界。

果たしてこれは幸せなのだろうか。

私は人生において何を求めているのであろうか。

人と比較して、人よりいい車に乗って、いい腕時計をつけて、それでも周りの自分より稼ぐ人と比較して劣等感にさいなまれる人生を目指していたのであろうか。

否。

私は本当は幸せになりたかっただけではないのか!!

 

私は資本主義の奴隷であったのである。稼ぐこと、安定的に働けることを善とされた世界を生きていたのである。人間としての自由を自ら放棄し、奴隷に身を落としたのである。そのことを自覚し、それでも資本主義社会のゲームの中で勝利をもぎ取る人生は肯定されるべきであろう。何しろ幸福は相対的なものであるから。

しかし!!自覚は必要である。選択枝の存在も認識せずに金銭と名誉を追い求める人生はまさしく奴隷そのものであるのだ。

 

他者との比較を続ける限り私は一生幸せになることはできない。

 

このことに気づいた私は勉強ができなくなってしまった。本当に机に向かえないのである。机に向かっても今までの人生を振り返り、涙するのである。

 

私はどう生きればよいのだ!!答えを見つけたくて、たくさんの本を読んだ。勉強などそっちのけでたくさんの本を読んだ。

 

そして気づいた。この世の真理に気づくことは不可能であると。私は無神論者であるので宗教によって救われることはない。ニーチェ永劫回帰もやはり腹落ちはしない。

 

そして絶望した。なぜ生きるのかわからなくなり一人家で泣いた。生きる意味さえ見失った。

 

その時!私のおなかがなったのである。私は生きる意味を見失ったのに「私」は生きようとしている。それがなぜかはわからない。生きることが正しいことなのかもわからない。それでも「私」は生きようとしている。

今でも人生の意味はよく分からない。それでも生きようとしている「私」に従うことが自然なことであるように思う。私は「私が」生きようとしているから、自然と私についても生きることが決定した。すると意味は分からなくてもどうせ生きるなら、幸せに生きたほうがいいのではないだろうかと思った。

 

そして金銭欲と名誉欲で生きるという、資本主義的「成功」が正義という生き方を捨てることにした。

 

では何のために生きるのか。私は幸せになりたいのである。幸せとは何か。これはフロムのいう兄弟愛が私にとって一番腹落ちした。私は決めた。私の人生を兄弟愛に注ごうと。

 

しかし現実問題として、今後の身の振り方を決めなければならない。そして資本主義という構造は最善ではないが、実現可能な社会構造の中で最良であるということはあまり争いがないであろう(共産主義のていたらくぶりはソ連が十分に示してくれた。)ことからすると、私も働く必要がある。

 

そして司法試験に合格することは必要となるであろう。しかし、私は希望にあふれている。たまたま弁護士を目指していたのが良かった。弁護士とは兄弟愛のために生きることが比較的しやすい職業ではないかということだ。一生涯弁護士を続けるかはわからない。しかし、今とりうる選択の中で、最終目標に向けて今を一生懸命に生きようと思うと最良の選択であるように思う。

 

未来は開けた。今やるべきことは司法試験合格のための勉強である。欲にまみれて目指していたあの頃とは、勉強をできることの幸福度がまるで違う。そう私は未来の幸せをみて、今この瞬間幸せになることが出来たのである。

 

 

 

読んでくれたすべての人へ。

あなたはどう人生を生きますか。私は兄弟愛のために生きます。でもこれが正解とは限りません。別に金銭欲と名誉欲のまま突き進んでもいいと思うのです。しかしこれは人間的な幸福ではないように思います。そのことの自覚は必要なのです。